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インタビュー連載vol.4 龍山秀一さんへのインタビュー総集編
龍山秀一さんへのインタビュー企画もついに最終回です。
vol.1からまとめて掲載いたしますので、最後までどうぞお楽しみ下さい。



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龍山秀一氏プロフィール
1961年5月生まれ(ふたご座)

職業: 不動産の建売、売買、貸しビル、設計、施工、賃貸管理、資産運用のアドバイス。

高校時代に数多くのアルバイトをして、当時の学生にとっては大金の100万円を貯めて渡米する。


そして、若干16歳で渡ったアメリカに魅了されて、現地でも一年間、様々なアルバイトを経験しながら、

異文化に触れ、英語を習得するなど、アグレッシブな青春時代を過ごす。



我が子(長女・長男)にも「可愛い子には旅をさせよ」の心情をモットーに、長男はニュージーランドへ

長女は韓国へ、それぞれ留学中である。


現在は、横浜にて、豊和設計株式会社という不動産会社を経営。



http://www.howa-sekkei.com/



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




vol.1<アメリカに熱狂して思わぬ転機 ー学生時代編ー>



ー今どんなお仕事をしてらっしゃるんですか?ー

僕の職業は豊和設計株式会社っていう不動産建て売り会社ですね。不動産って言うと、リハウスとか住友と東急とか、そういう仲介会社のイメージが強いですけど。
うちの会社は外国だと投資会社ですね。山を開発したり、デパートを作ったりとか、それに対してお金を集めたりとか、それをどっかに売るとかいう仕事になるんですけど。お金を集めるのは自分で銀行から引っ張ってきて、土地も自分で集めて。全てを自分の会社で自分一人でやってしまうというカタチのこと。不動産の建て売り会社、大きい土地を買ってきて10個に分けて、10件に売ったり、ビルを買ってリフォームして売るにしても、自由性の高いものに変えていく仕事ですね。

金融ていうのも、貸して貸して回収するときに恨まれるんだよね。それで貸さなくても恨まれるわけよ。だから結局、貸しても貸さなくても人に恨まれる仕事なんだよな。そんで、貸すときに、やっぱり金融というのは必ず担保が必要で、様々な担保があるんだけど、主に担保が収まっているのは不動産ですね。
独立前に某金融会社に5年くらい居たんですけど、その5年の間に、不動産を担保にするっていう関係上、不動産を勉強しながら、そのお金を貸してたっていう実績もあって、今その礎がある。結局はその時に不動産という仕事をしたことと、やっぱりお金を貸してた訳ですから、貸す人の気持ちがよく解るので、今は銀行さんからお金を借りることが得意なんですよね。ま、不動産巡りしましたから、色んな変わった社長さんがいっぱい居たんですけど、そういう人たちに「この土地いくらだったら買ってくれますか?」とか言って担保をこう査定してもらう訳ですから。
その中にもなかなか気の利いた有能な社長さんも居ました。その中の一人から引き抜かれて、その社長の会社に入ったのが、不動産屋さんをやるきっかけになりました。それで10年間その会社で勤めました。そちらの社長は真面目でもあり、不真面目な人でもあるんですが、仕事の時間が8時間あったとしたら、そのうち1時間を仕事に集中して、その後、仕事以外の色々なことにチャレンジしている方でした。
その後、僕がだいたい仕事ができるようになったら、私に全部任せて、私が業務をすべてこなさなければいけなくなったので、その10年間社長の代わりをやっていたら、経営者意識が自然と身に付いたんですよね。




ー10年間て言うと30代くらいですか?ー



そうだね、27歳くらいから40歳くらいまでかな。それで独立したときに、失業保険を貰ったんですけど、だいたい全部で300万円くらいだったと思うのですが、そのお金を全部、自分の不動産会社をやるための初期段階の仕入れと営業に使いました。だから、色んな会社の色んな人に会って、話を聞いて自分なりに貪欲に情報収集しましたね。まー、朝は元々食べなかったんですけど、昼と夜は必ず人と会って食べましたね。必ず毎日違う人と会いました。とにかく外で食べる事を心がけましたね。先輩たちの話を聴いて、良かれと思うことは何でも取り入れようと思いましたね。
1ヶ月もしたらすぐに体がおかしくなりましたけどね。家内からもあらぬ疑いも掛けられたり(笑) それから、やっぱり夜は飲むじゃないですか。そんとき酔っぱらって事故を起こしたこともありましたね。
それで、そのときに、10年間やってきた前の会社の悪いところ、他の不動産業者の悪いところも分かっているので、とにかく悪いところを真似ないようにして「これをやったら正しいな」と思うことばかりを、繰り返してきたんですよね。 
そしたら、お陰様でマァマァ良い会社になりましたね。



ー僕は不動産をあまり詳しく知らないんですが、他の不動産の会社と龍山さんの会社の決定的に違うところって何ですか?ー



不動産って結局色々あって、いま言ったようにリハウスとかの仲介業者、売り主さんと買い主さんがいて、その間を取り持つ人。これを仲介業って言いますよね。うちのビジネスは、世界でいうと、投資会社みたいな扱いですね。何でも自分で買い取って、それを売る訳ですから。僕は仲介あまり好きじゃないんですよね。紹介したりする事が不得意なんですよ。売りたい人と買いたい人の要望ってすごく強いんですよね。それを聞かないといけないのってすごく厳しいんですよね。
自分で買うってその点は楽なんですよ。もう一つは、加入会社、賃貸会社、貸す、借りるの一つの不動産業、あとは不動産を管理する会社。オーナーさんの部屋を借りて、不動産のエージェントとか不動産の賃貸募集とか、そういうのも不動産業者になるかもしれませんね。大きく分けると、この3つくらいかな。



ー話がさかのぼっちゃうんですけど。今の大学生って就職活動悩んでたりするんですけど、龍山さんは一番最初に始めた仕事って英会話のカセット販売でしたよね?ー



高校に入ったときにはバイトだけでも、引っ越屋さん、ラーメン屋、飲み屋、鉄くず拾い、畑仕事とか、とにかく様々な多数のアルバイトをやりましたね。



ー学生のときから、お金を儲ける、稼ぐって言う事が好きだったんですか?ー



いや、そのときはアメリカに行きたかったんですよ。(笑)
高校一年生の時にその夢は叶いました。僕は在日なんですけど、当時、在日がアメリカに行くって難しい時代で、勿論金持ちだと大丈夫なんですけど、パスポートとか、ちゃんと愛国心がある事を示す為に韓国行かねばならなかったり、300万円くらいの預金残高があって、はじめてアメリカに行けたんです。すごくハードルが高かったんですけど、たまたまミシガンと滋賀県(琵琶湖)が姉妹都市で、そこで200人規模の視察旅行があって、200人がミシガンに行って10日間くらい回遊したんですね。
それがきっかけでアメリカに行って、凄く夢がある国っていうイメージを持ちました。アメリカには、日本人が見れないような夢がたくさんあったので、どうせ男なら、ここで何かやってやろうって思って。アメリカ行って戻ってきて、偉くなったらええやろ。っていうくらいの気持ちはありましたね。



ー 高校生でそういう意識を持っているって言うのは凄いですね。 ー



その時は学校行くよりもアルバイトですよ。野球部も辞めましたね。あとは、学校も単位制というイメージで通ってましたね。遅刻するのが当たり前、だって夜遅いからね。学校では未だ授業があるのに、「仕事があるから帰るわ」ってよく早退もしてましたね。だから、そのときにバイクの免許とって、学校の前も平気で走ってました。



ー(Skypeにて学生視聴中)今、学生からの質問が来たんですけど、いろいろアルバイトやられて一番ためになったものってなんですか?ー



アルバイトじゃないですけど、貸金業は非常に勉強になりましたね。いろんな人がいるし、回収する段階で人の心理的なとことか。どんなカタチでその人のアキレス腱を掴むかっていうのを考えること。そうとう厳しい事もありましたから。
金融っていうのは結局なんでも屋ですから。その時にまちがった考え方をするひともいますけど、借りた金は絶対に返さなければならないんです。
今、よく弁護士がどうのこうのとか、あんたは利息払いすぎてませんか?って。あれは間違ってますよ。借りた金は返すのは当たり前。どんな高い金利だろうといったん交わした約束を守れな人は世の中おらん方がええよ。



ーお仕事はアメリカから帰ってきてからはじめたんですか?ー



そうですね・・・。金貸業は非常に勉強になりましたね。でも、バイトは結局全部の職種が為になりましたよね。経営者であればどういう事を考え、どういう判断をするんだろうっていうのは常に考えてました。
だから学生だったら、掃除の仕事があるとしたら、いかにその掃除を楽しんでやるか。どんだけ奇麗に最後に水を拭きとれるかとか、そういうのが一番大事なのかもしれませんね。
うどんを作るにしても、10個20個の注文がくる訳じゃないですか。器でカタチを変えたりとか、薬味を奇麗に並べてしまうとか、順番をしっかり決めておくとか、いっぺんに作れるものを考えるとか、工夫っていうのはどんな仕事でもありますよね。
また、工夫して楽しまないと意味ないんで、嫌な仕事は絶対にためにならないので、どんだけ仕事を工夫するのかっていうところですよね。人間それがないと成長はないですよね。










vol.2<何も持たずにアメリカへ。どんな仕事もした学生時代 ー学生時代・社会人編ー>

ーアメリカにいくためにお金が必要だと思うんですがどうしたんですか?ー



とにかく小さなお金も全て貯めていきました、それに尽きます。高校2年の時に家に落ちてる10円とかも、とにかくかき集めたんです。いくら小さなお金でもその度に口座に入れにいきました。そうすると、入れていくうちにもう少しで3万円とか、もうすぐ5万円だとか、だんだん拍車がかかってきて、そうやってそれを増やす為にどうするかを考える思考になっていくんです。
増える数字を常に意識するマインドは活力に繋がったと思いますね。最後には100万円くらい貯まりました。あとは申し訳ない事に親に100万円くらい借りましたね。



ー何も無い状態でアメリカに行かれて何をしたんですか?ー



アルバイトというアルバイトは時給が安かろうが何だろうが、とにかく多くやりました。どんな仕事でも結果的に英語の勉強にはなりましたので、できることは何でもやりましたね。仕事ができること自体が有難いという気持ちで一杯でした。
畑仕事から、ベビーシッター、掃除、飲食、ピザの配達までやったから英語はその頃にはうまくなってましたね。あのとき、英語をとにかく使って上達させたことと多くの現場で泥臭く働いたことが今に繋がっていると思います。

ーそのときからアルバイトをしていて、いつかは自分で事業をやりたいなあって気持ちはあったんですか?ー



高校のときからそういう気持ちはありました。高校時代にバイトでバイクにのって国道一号線走ってるといろんな会社見えるじゃないですか、そのとき、こんないっぱい会社あるんだったら俺も社長になれるんじゃないかなって思ったりしてました。
やっぱり自分が在日というのも大きくて、在日って言うのは親からも勿論仕事は2倍やれと、勉強するにしても2倍3倍やれと、それではじめて一人前だと言われていたので、そういった気持ちがありました。
当時、在日は学校の先生にもなれなかったんですよ。今も多分、政府のなんとか省とかって在日は入れないんですよね。だから結構できない人が多かったんです。
ただ私もやっぱり一番大きかったのは、アメリカで何かを成し遂げたいという想いでした。ただアメリカ行って考えた事は、アメリカで苦労する事を考えると日本で同じ苦労したら3倍くらい良くなるんですよ。アメリカで苦労するの大変なんですよね。だから日本で苦労するのは楽やなと思って楽な方を選びました(笑)



ーなるほど。それは20代の頃ですよね?ー



そうですね、帰ったきたのが20歳前くらいですね。帰ってからいろいろ仕事をして僕はアメリカに戻るつもりでいました。あと面白かったのは大学の方の英語のクラブですね。非常に優秀な人ばかりで。
今でもシンガポールで活躍してる人とか、フランスで活躍してる人とか、結構面白い先輩がいっぱいいて、そういった意味で自分も感化された部分はありましたよね。やっぱり人の流れ、人の付き合い、人と接することは、人生で最も大事なことの一つかもしれませんね。



ーちなみに、さきほど(第一章)多くの人にアポとって話したというのありましたが、実際にどういった話をされていたんですか?ー



やりたい事をとにかく言うんです。よく言いますよね、金持ちになりたい人は金持ちになりたい方法を具体的に描けとか。
例えば、土地が欲しいと、中古のマンションでもいいと、より具体的な事ばっかりをその人に話しました。昼も夜も会うたびに同じことばかり言ってました。全然違う人に言い続けていると、どんどんアンテナが広がっていくじゃないですか。
「こんな土地ありますよー」とか。そうしたらまた、その人とご飯食べにいって、そこでまた吟味しながらその土地が良いとか悪いとかを話してました。買いたい土地は買って、買えない土地は買わないと。結局買える土地って2つくらいしかないんですよね。なによりも数が大切です。
すべて上手くいくことはないんですよね。不思議な事にできるだけ細かく話し上げると実現するよね。あとは物真似はよくやってましたね。なにかの始まりって何も解らないですよね。だからとにかく成功している人の真似をするんです。先輩によくどうやったら上手くいくかを聞いてました。もちろん逆もあって、悪い会社、つぶれていく会社ってあるんですよね。そういった会社が何をやってつぶれたかっていう話しも多く聞きました。
今でもそういったことはよく考えたり話したりします。よく売れている会社は何をやっているのかっていうのは必ず注目しますよね。










vol.3<やりたいことが見つからない学生へ>



〜  一度、お体を悪くされたとお聞きしたのですが、それから何か変わったことはありますか? 〜



煙草を止めましたね。お酒の量や食べる量はそんなに減らしてないんですが、仕事の量を激減させました。ヘタしたら10分の1ぐらいにしたかもしれないですね。仕事を減らしてゴルフやテニスをする時間が増えましたね。夜7時になったら、もうコートに立ってますよ。だいたい9時半までプールで泳いだりなんかしたりね。
だから自分でやっていた仕事を人に任せることが非常に増えました。そうすることで必然的に余裕も生まれましたし、なにより社員を含め周りの人を大切にするようになりました。一人一人の人間をしっかり見つめることが出来るようになったんですよね。



〜 部下に任せて育成に繋げるというのは素晴らしいことですが、やっぱり大変ではないですか? 〜



うちの会社の人たちは、それぞれで注意し合うので、その点は苦労していないですよ。やっぱり相乗効果って良いことなんですよね。
あと、仕事って結構遊びから生まれるもので、僕が時間を持ったことで、ゴルフ行ったりテニス行ったりすることでいろんな事象が生まれたりするんですよ、不思議な事に。 
いろんな業種の人と接するようになったので、いろんな新鮮な話を聴けるんですよね。



〜 今の若者は一般的な視点で言うと、「なんか頑張れない」みたいな・・・ そういった今の若者に対してどう思いますか? 〜



今は、お腹が空けば美味しいパンが食べれる。水を飲みたければ綺麗な水も飲める。でも一日、1ドル以下で生活してる人って、世界の半分以上だと思うんですよ、日本はもう30年くらい前には貧困をクリアしてるんですよね。
だから30年くらい成長しなくてもやってこれたので、その辺が昔とは違うと思うんです。今はゲームとかで欲求を満たしたりすることが多くなっている印象があります。水がなくなったらとか食べ物がなくなったらとか、日本ではドラえもんの世界ですけどね。
だから、何々が無かったら、親が居なかったら、子供が居なかったら、そういう修行の世界に身を置くことが必要なのかもしれませんね。そういう体験を、どんどん積んだ方いいのかもしれません。 
ようは日本はモノが溢れているから、何かが無い世界に行って、ちょっと工夫する経験をしたらいいんじゃないでしょうか。



〜 多分学生で一番多いのが、「何をすればいいのかわからない」「やる気が出てこない」、そういったものだと思うんですよね。お金もないわけじゃない、仕事だってそこら中にある。だけどモチベーションが上がらないっていう感じ。そこに対しての龍山さんのエネルギッシュに動き回られた学生時代っていうのは、羨ましいところでもあったりするのかなと僕は感じます。 〜



カンボジアとかを訪問すると、学校に行けない子供たちが大勢いるから、そういった子供らを見ながら、学校に行ける自分、おいしい水を飲める自分っていうのをもっと見て感じる機会があると良いんですが、現状そういう環境が日本国内には少ないんですよね。 
時間があれば東北(被災地)などに行って泥掃除とかしたらいいんじゃないかと思います。身近にそういった環境がない事が問題ですが・・・

とにかく、やりたいことや人のお役に立てることを数多く、やったらいいんですよ。



〜 やりたい事をやればいいっていう話のなかで、龍山さんはアメリカに行かれたじゃないですか。それに対する家族や友人の反応、もしくは同じように志を持った仲間はいらっしゃったんですか? 〜



まず一番の仲間(理解者)は母親でしたね。僕が高校一年の時に、アメリカに行きたいという自分の意志を周りの人たちに言っていたら、まず母が行動を起こしてくれました。僕に何も言わずに市役所に言いに行ってくれたんですよね。
それがきっかけで、市の視察団の一員として渡米することが出来ました。行こうと思ったら行けるんだ(夢は叶うんだ)と初めて体感しました。 
行けると決まったら、あとは自分の行動だけじゃないですか。だからお金を貯めました。旅費さえあれば行ける訳ですから。



〜 もしかしたら、そのお母さんの行動がなかったら今の龍山さんはいないかもしれませんね 〜



本当そうかもしれません。一歩が踏み出せなかったかもしれません。やっぱりアメリカに行ってあまりにも日本と違ったので。交換留学してるとむこうの凄くお金持ちの家にホームステイするもんだから、そこの生活水準、子供達は何か一つ、音楽、ピアノとかバイオリンでも必ずそれをやること。
また、音楽じゃないスポーツをなにか身につけたりだとか。また、家族で必ず一緒に食事をするとか。お父さんは夜9時頃に必ず帰ってきて子供達の面倒みるとか。本当に全く違う世界。映画の世界ですよ。それがそのまま、そこにある感じ。そんな良い場所あるんだったらそっち行った方が良いって本気で思いました。



〜 若いときに何か悩みとかはなかったんですか? 〜



今の若者と全部一緒ですよ。やりたいことが無いっていうか・・・

僕らの時は多分、抵抗力があったんですよね。免疫力というか忍耐力というか。もっというなら、悩む暇とか時間が無かったのかもしれません。押し寄せて来るものとか悩めるものは山ほどあったので。

どうせ人間社会ですから。
僕は今のこの日本の社会とミャンマーとかの社会は、さほど変わらないと思ってます。ミャンマーがたまたま車が少ないとか。電気料が少ないとか。そういうのは違っても、人間社会やることはそんなに変わらないんです。朝起きたら顔洗って御飯食べて、寝るときだってみんな立って寝たりしないし横になって寝る。どんな時代でも人間やることはそんなに変わらない。
つまり、そんなに成長してない。今みたいに満たされていることは、むしろ不自由かもしれませんね。もしかしたら今の若者は不幸な時代を生きてるのかも分からないですね。

例えば、かの有名な徳川家康は幼い頃、人質になったじゃないですか、そのときに今川義元がなにしたかって言ったら、別に厳しく育てるとかじゃなくて、お菓子はあげるし、服は与えるし、何もかも与えた。それって何故かというと、満たされた状態にすると何も無くなるんですよ。反対に何も無い苦しい状態だったりすると、怒りや恨みで莫大な生命力を持ったりしますから。


だから、うちの家内が子供は「苦労させた方が良い」と言います。

満たされると駄目なんですよね。親が子供を甘やかせて、自立出来なくしてるんですよ。だから、放たらかしにするのが一番いいんですよ。










vol.4<経営者としての自分に影響を及ぼした“家族”の存在>



―結婚されて20年以上。家庭や家族は今の龍山さんに何か影響を及ぼしていますか?―



影響力はすごく強いですね。僕に家族がいなかったら会社も多分なくなっていると思います。 自分だけだったら今頃、自由に世界中旅行していると思いますね。



―働くモチベーションに家族があるということですか?―



家族のためというより、自分を認めたいんです。家族の為だったらもう自分には母親や父親がいるわけですから。多分、自分の場所を自分で作っているだけなのかもしれないです。



―奥さまと出会われてから約30年。僕から見ると龍山さんは何かもう凄い人なのですけども、昔からこうだったのでしょうか?―



≪奥さま≫ すごく変わってきていると思います。最初はもっと野性的というか(笑)なんか本能で生きているという感じでした。それが一番大きく変わったのは自分で会社やりだしてからじゃないですか。あと、数年前に病気したことも大きな転機でしたね。



≪ご本人≫ 僕、不動産に入った時、まず掃除はしない、朝は会社に行かない。勉強するためにその期間、休んだりもしていました。でも、仕事する時はそれに集中してそればかりやるという感じでした。夜も仕事が終わらないと会社からは帰らない。だから仕事が終わるのが深夜2時でも3時でも朝でも、その仕事は終えてしまう。終わらないと帰らない。その代わり、仕事がなかったら会社にも行かなかったですけど。もう極端でした。社長から任された以上その仕事は自分が責任をもって終わらせるという強い気持ちだけでしたね。



―よく会社は信頼してくれましたねー



本質はやっぱ見抜いてくれていたのだと思います。「最初はあいつ少しおかしいけど、最後はやっぱり正しいな」って感じになっていましたね。



―龍山さんのお父さんはやっぱり、ご自身で事業とかやられていたのですか?―



いや、普通のサラリーマンです。うちの親戚は全て自営業なのですが、うちの父だけが唯一、貧乏人でした。親戚の人たちは結構自営業の方を上手くやっていました。その中でうちの父親だけ、たまたま頭よかったのでしょうね。しっかりとした大手企業に勤めていました。



―サラリーマンでありながら、心は経営者だったりしたのではないでしょうかー



いや〜サラリーマンでしたね(笑)。会社の宴会の段取りをしたり、その際の歌を創ったりしていましたから。それをみんなで歌ったりしていましたね。



―ムードメーカーだったということですか?―



いや、ムードメーカーというより、凄く真面目なタイプだったと思います。「これはやらんといかん」っていう事をしっかりとやり遂げる。会社も遅刻したこと一度も無いですからね。夜は毎晩遅かったです。もうサラリーマンの鏡みたいな人でしたね。



―それでは結構、龍山さんとは対照的ですねー



僕は母親に似たのだと思います。うちの父は頭良かったですけど、うちの母なんて全然頭よくないですし(笑)母親は「なんとかなる、やろう」という性格で、そういうところが似たのだと思います。だから、うちの父は完璧なサラリーマンタイプなので子供の頃からいつも「ああいう風にはなりたくない」って思っていました。(笑)



―最後の質問になります。カンボジアに学校を作られたり、東北に寄付をされたお話を少し お聞かせいただいても宜しいですか? ―



やっぱり、7年前に病気で自分が死にかけたからです。東北の大震災は一生に一度起こるか起こらないかくらいのことでしたから・・・・・
そういった中で、たいそうな志を持ってやった訳でもないですし、人間同志お互いに助け合うべきことだっていう、ごく自然な気持ちが大きかったので、出来る限りの寄付をしました。
ただ、大きな寄付はしたけど、役所、国、行政の動きがどうも自分と合わなくて、これなら一つ会社つくって向こうの人にやってもらったほうが良かったかなって少し後悔はしています。 だから、寄付は寄付でも自分らしい寄付というのをこれからは考えますよ。 カンボジアの学校も、現地・現場を未だ自分の目で見ていないので、分からないところもありますが、ただ少しでも、現地の人たちのお役に立てれば有難いという気持ちです。
今後もいろいろと活動していきたいと思っています。





| インタビュー記事 | 15:19 | comments(1) | - | - |
龍山さんの生き方に大変共鳴しました。また是非今の仕事観なども掲載してください。
| 山崎 | 2013/09/07 10:23 PM |